まほらの天秤

「まずは自己紹介からか。私の名は、アンドレアス・ダールトン」

その名前に、やはり僕は動揺が隠せなかった。
奇跡的な偶然で見た目が似ている人、と言うだけではなく、名前まで同じなどあり得ないことだ。
こちらの疑問に気付いているのだろう、ダールトンは話を続けた。

「とはいっても、これは偽名・・・いや、この屋敷での通名と言ったところか」
「通名、ですか？」
「そうだ。まずはこれを見てくれないか」

ダールトンが取り出したのは古い歴史書だった。
悪逆皇帝が世界を混乱させたあの時代をまとめた書物で、200年以上前に作られたものだ。今の時代においてブリタニア正史とされているものだ。
この歴史書が発売された当時、スザクは苦笑しながら何度も読み返したものだ。
なぜなら、当時を生きたものであれば、あり得ないと一笑できるような内容が、さも当たり前のように書かれているのだから。
例えば、この歴史書の中では、シャルル皇帝はブリタニアを発展させるため尽力したした賢帝とされている。各国へ侵略戦争を仕掛け、属国にナンバーを振り、その国のものたちを人間扱いすることなくナンバーで呼んだのは、シャルル皇帝ではなく、悪逆皇帝ルルーシュなのだ。
そう、あの侵略戦争が始まった後に生まれたルルーシュが、侵略戦争を始めたというのが、今の歴史なのだ。行政特区で日本人を虐殺したのもルルーシュとされている。
歴史とは勝者が作るもの。
どれほど歪んでいたとしても、勝者が語る歴史こそが正しいもの。
歴史家たちの夢と妄想と、そしてわずかな真実を集約させたのがこの歴史書で、ここに書かれている事があの当時の真実だと、今の世の者は皆信じているのだ。
ダールトンはあるページを開き、それをこちらへと見せた。
そこはコーネリア・リ・ブリタニアに関する事項がまとめられており、コーネリアとその側近に関する写真などが載っていた。

「コーネリア皇女殿下の部下であった、ダールトン将軍ですね」

ダールトンに関わるページを確認してから、スザクは顔を上げた。
ちなみにグラストンナイツは全員ダールトンの実子とされており、妻が5人いたと書かれている。女性に関しては無節操だったという不名誉な記載は、本人が知ったら怒るに違いない。

「そうだ。私が此処で名乗る名前は、ダールトン将軍からきている」
「・・・なぜ、そのような通名を？」

僕の質問に、さてどう答えるべきかとダールトンは腕を組んだ。

「君は、ブリタニアの奇跡と呼ばれている現象を知っているか？」
「・・・ええ、噂程度にですが」

ブリタニアの奇跡。
あの騒乱に深くかかわった人物が次々に見つかっている、という噂話だ。
この歴史書に書かれている時代は皇歴2000年から2050年までの50年間で、皇族の歴史から、超合集国と黒の騎士団に関する事まで網羅され、写真も載せられた。
見つかった人物は皆、その写真に瓜二つなのだという。
だから、当時の者たちが前世の姿そのままに生まれ変わって、この時代に集まっているのだとか、そんな胡散臭い話だ。

「私は、元々辺境の田舎町で医師を務めていた身なのだが、私の事を聞きつけやってきた人物に、ダールトン将軍に生き写しだといわれてな」

生き写し。
まさにその通りだと思う。
本人を知る自分が勘違いしてしまうほど、目の前の人物は本人そのものなのだ。
違いがあるとすれば、顔の傷が無いことぐらいだ。

「ブリタニアが帝国から合衆国となり、皇帝、そして皇族が失われた」

ルルーシュを最後の皇帝とし、ナナリーはその後合衆国ブリタニアの初代大統領となった。
それから数百年。
ブリタニアに皇帝は存在せず、皇族も消え去っていた。

「だが、このブリタニアの奇跡は、賢帝シャルル・ジ・ブリタニアを再び皇帝とし、合衆国ブリタニアから神聖ブリタニア帝国へと戻すための、神の意志ではないかと言われている」
「・・・神の意志ですか？」

思わず呆れを含んだ声で、そう言ってしまった。
だって、神とはアレなのだ。
あの神が、帝国の再建？
むしろシャルル皇帝を消したのが神なのだから、それはあり得ないだろう。と、神の姿とシャルルの死の真実を知るスザクとしては言いたいのだが、言えるはずもなかった。
むしろ神が望むとしたら・・・明日を望んだ悪逆皇帝の方ではないだろうか。
賢帝となれるだけの器を持っていたのは、間違いなく彼だから。
憎しみの連鎖を断ち、人々に戦争のない平和な明日を捧げるために、悪の帝王として君臨し、自らが生み出した英雄に討たれたのだ。優しい世界を生み出すために、笑いながら汚名をかぶり、命を世界に捧げるなど、誰にも真似できまい。
彼の計算通りに世界平和が訪れたなど、誰も思うまい。

「本当に神が望んでいるのか、それを検証するためにも、私のような者たちが、今、この屋敷に集められているのだ」

そこまで言われて、成程、と僕は納得した。
この屋敷に滞在して欲しいという意味が解ったからだ。
ダールトンは再びパラパラとページをめくると、予想通りの場所を開き、指さした。
そこに映っているのは、僕。
ユーフェミア・リ・ブリタニアの傍で、彼女と笑っている、僕の写真だ。

「知っているとは思うが、ユーフェミア様の専任騎士で、シャルル陛下のナイトオブラウンズ・ナイトオブ・セブンだった枢木スザクだ」
「ええ、知っています」

誰よりも。
でも、その歴史書の中には、ナイト・オブ・ゼロだった頃の僕は載っていませんよね。
悪逆皇帝の唯一の騎士だったと、貴方は知っていますか？
裏切りの騎士、同族殺し、死神と呼ばれていた事を知っていますか？
もう、そのことを知るのも、自分一人だけになったのだと、スザクは目を伏せた。
枢木スザクにとっての悪名は、この歴史書には一切記されていない。
悪逆皇帝は騎士を持たなかった。
それどころか、信頼の置ける側近は一人もいなかった。
恐怖で人を支配した孤独な王。
それが、今の歴史だ。

「ああ、所で名前を聞いていなかったな」

ダールトンはそう促した。
そう言えばそうだったと、僕は居住まいを正す。

「岸野と言います。岸野、レイ」

僕は迷うことなくその名を名乗った。

嘗てゼロの妻と名乗っていた少女が、夫となる者との契をかわす前に、ゼロの元へとやってきた。20歳を超えたばかりの彼女は、お御転婆で明るかった従妹とは別人ではないかと疑ってしまうほど、落ち着いた淑女へと姿を変えていた。

「ゼロ様。お別れに参りました」

超合衆国最高議長の座を天子に譲り渡した彼女は、涼やかな声でそう言った。

「伺っております。おめでとうございます、カグヤ様」

祝いの言葉を口にすると、カグヤは泣きそうな顔で笑った。

「貴方の妻として生涯を終えるつもりでおりましたのに、皇の血を絶やす事は許されないのだとか。とても、残念ですわ」

日本の皇族の最後の生き残りとして、その血を残すための婚姻。
愛情のないものと契をかわし、子を産まねばならない。
心底不本意だという様に、彼女の言葉はとても冷え切っていた。
だからかもしれない。
その外見と年齢には不釣り合いなほど、彼女は老齢して見えた。

「そこで、私考えましたの。貴方の妻であるうちに、貴方に贈りもをのしなければと」
「いえ、カグヤ様」
「受け取ってくださいませ。元婚約者である従妹からの、最初で最後の贈り物ですわ」

否定の言葉を投げる前に、カグヤはそう言った。
労りと、深い愛情が込められた優しい笑顔だった。
終戦後天皇となった彼女との繋がりは、超合衆国の議会だけとなっていたが、それが断たれた以上、英雄ゼロと天皇が顔を合わせる事はないだろう。
彼女はこの後の生涯を、皇居にて半幽閉状態で過ごすこととなる。
その血を、後世に残すために。
だからこそ、今生の別れに、唯一人の血縁者に何かを残したいと考えたのだろう。

「邪魔になるものではありませんから大丈夫ですわ、受け取って損はありません」

自信満々に言う彼女に渡されたのは数枚のカード。
写真こそないが、それらは皆身分証明書だった。

岸野零--KISINO　REI--

そう書かれていた。

「貴方は英雄ゼロ。そして、彼のお方の唯一の騎士、ゼロ。ならばこの名前が相応しいと思いますの」

きしのれい。
きしのぜろ。
ゼロの騎士。
仮面の騎士ゼロであり、ナイト・オブ・ゼロ、そしてゼロであったルルーシュの騎士だと示す名前。

「枢木スザクと言う名前がもう名乗れないのならば、偽名は必要だと思ったのです」

茫然とするゼロを見ながら、彼女は悪戯が成功した子供のような笑みを乗せた。

「だって、貴方がゼロの任を終え、人として長い時を生きることとなった時、新たな名前が必要でございましょう？」

ですから、私からあなたへ、新たな人生を生きるための名前を。
今思えば、彼女は枢木スザクが既に不老不死なのだと知っていたのかもしれない。
僕は彼女からの贈り物を、受け取ることにした。
その時から、これが僕の名前となった。